ドローンのカメラが、不安定に揺れる。緑。どこまでも続く、深緑の海。アマゾンの密林だ。機体から送られてくる映像は、ノイズで激しく乱れている。「こちらケンジ…」途切れ途切れの音声が、通信機から響く。息が荒い。極度の興奮か、あるいは恐怖か。「信じられない…リナ、本当にあったんだ…」カメラが急降下する。密集した木々の隙間を、猛スピードで抜けていく。そして、視界が開けた。一瞬、映像が真っ白になるほどの光。黄金。太陽の光を反射する、巨大な黄金の構造物が、そこにあった。「これは…都市じゃない…」ケンジの声が、かすかに震えている。「生きている…。リフレクションだ。未来が…リナ、君にも見せ…」ブツッ。激しいノイズと共に、映像が途絶えた。暗転。それが、兄、ケンジ・タナカからの最後の通信だった。 六週間後。東京。リナ・タナカは、顕微鏡のレンズを覗き込んでいた。彼女の世界は、このレンズの下にあるものだけで構成されていた。整然としたデータ。予測可能な化学反応。緑色に発光する藻類が、ペトリ皿の中で静かに増殖している。彼女の研究室は、都市の喧騒から隔離された、静かな聖域だ。「タナカ博士」上司の声が、リナを現実へと引き戻した。「ブラジル当局から、正式な連絡があった」リナは顔を上げない。その言葉の意味を、聞きたくなかった。「捜索は打ち切りだ。これ以上の続行は不可能と…」「ご苦労様です」リナは、感情を殺した声で遮った。「兄は、もともと無謀でしたから」上司は、痛ましそうな表情でリナを見た。「ご家族の心中、お察しする。…だが、ケンジ君は優秀なジャーナリストだった」「優秀、ですか」リナは、ようやく顔を上げた。美しい顔立ちだが、その瞳は冷たいガラスのようだ。「『エルドラド2.0』などという、おとぎ話に踊らされて、命を落とすのが、優秀なジャーナリストのすることでしょうか」「リナ君…」「失礼します。まだ、分析が残っていますので」リナは再び顕微鏡に目を落とした。レンズの下の藻類は、何も知らず、ただ静かに光り続けている。それが、彼女が制御できる、唯一の世界だった。 ケンジはいつもそうだった。幼い頃から、彼は現実のすぐ隣にある「何か」を探し続けていた。科学では説明できないもの。歴史から消し去られたもの。リナが論理とデータを積み上げている間、ケンジは神話と伝説を追いかけていた。二人は、同じ両親から生まれたとは思えないほど、対照的だった。リナは、兄のそんな部分が、もどかしく、そして…少しだけ、羨ましかったのかもしれない。「エルドラド2.0」。ケンジが最後に取り憑かれていたテーマだ。アマゾンの奥地に、自己増殖するバイオエネルギーによって稼働する、古代の自動都市があるという。「馬鹿げている」リナは何度も彼を説得しようとした。「それは物理法則に反する。ただの伝説よ」「物理法則こそが、俺たちを縛る鎖なんだ、リナ」最後に電話で話した時、ケンジは興奮してそう言った。「古代の文明は、俺たちとは違う『科学』を持っていた。自然と調和する科学だ。それを見つけ出せば、世界は変わる…」「変わるべきは世界じゃなくて、あなたよ、ケンジ!夢みたいな話はもうやめて!」それが、最後の会話だった。リナは、ピペットを握る手に力を込めた。後悔が、冷たい酸のように胸に広がる。もし、あの時、もう少し優しい言葉をかけていたら。いや、違う。後悔ではない。これは、怒りだ。自分を、そして残された家族を顧みず、無謀な夢に殉じた兄への、どうしようもない怒りだ。 その夜、リナは施錠された研究室で、一人、兄の残したデータを調べていた。警察から返却された、兄の東京のアパートの鍵。彼女は、兄の死を「データとして」受け入れるために、彼の部屋を訪れた。そこには、膨大な量の資料が残されていた。古地図。暗号めいたメモ。そして、一つの企業名。「ジオ・ダイナミクス」表向きは、地質学とバイオテクノロジーの研究企業。ケンジの最後の取材の、公式スポンサーだった。リナは、彼らのウェブサイトを調べた。クリーンなイメージ。環境保護への貢献。持続可能な未来。だが、ケンジのメモには、違う言葉が並んでいた。「資源独占」「情報操作」「パイトゥティ計画」。「パイトゥティ」それは、インカの伝説に登場する、失われた黄金都市の名前だった。エルドラドの、別名だ。 リナは、兄が「無謀」だったのではなく、「何かに気づいた」のではないか、という疑念を抱き始めていた。その時、アパートのインターホンが鳴った。真夜中だ。リナは息を飲んだ。訪問者を警戒しながら、ドアスコープを覗く。誰もいない。だが、ドアノブには、小さな国際郵便の小包が掛けられていた。差出人の名前はない。ブラジルからの発送だった。消印は、七週間前。ケンジが、姿を消す直前だ。リナは震える手で、小包を部屋に持ち込んだ。中には、厳重に梱包された、奇妙な物体が入っていた。石、だろうか。いや、金属のようだ。鈍い黄金色をしている。だが、その質感は奇妙だった。まるで、生きているかのような、有機的な曲線を描いている。そして、もう一つ。暗号化されたUSBメモリ。添えられた短いメモ。兄の筆跡だ。 『事故を信じるな。もし俺に何かあれば、マテオを探せ。パイトゥティは、神話じゃない』 リナは、メモを握りしめた。「マテオ」ケンジの取材ノートに、一度だけ出てきた名前。現地のガイド。だが、公式報告書には、そんな名前は存在しなかった。何かが、おかしい。リナは、本能的に感じていた。兄の死は、ただの「遭難事故」ではない。彼は、何かを掴んでしまったのだ。そして、その「何か」が、彼を消した。リナは、研究室の高性能PCに、USBメモリを接続した。パスワードが要求される。リナは、考えられる限りの文字列を試した。ケンジの誕生日。リナの誕生日。両親の結婚記念日。どれも違う。リナは、目を閉じて、兄との最後の会話を思い出した。『変わるべきは世界じゃなくて、あなたよ、ケンジ!』『物理法則こそが、俺たちを縛る鎖なんだ、リナ』鎖。リナは、目を開けた。キーボードに、指を走らせる。「A_K_A_S_H_A」エンターキーを押す。ロックが、解除された。画面に、膨大なデータが溢れ出す。それは、ケンジの、最後の日記だった。『Day 45。マテオと別れた。これ以上、彼を巻き込むわけにはいかない』『Day 47。ジオ・ダイナミクスの連中が、俺を追っている。奴らの目的は「それ」じゃない。「それ」を利用することだ』『Day 50。「意識の菌類」を発見した。信じられない。森全体が、一つの神経網(ニューラルネットワーク)で繋がっている』『Day 52。リナ、君の科学では理解できないだろう。だが、これが真実だ。都市はエネルギーで動いているんじゃない。記憶で動いているんだ』そして、最後の座標データ。『Day 53。ついに見つけた。黄金の都市。だが、彼らも来た。これが最後になるかもしれない。リナ、逃げろ。ここに来てはダメだ』データは、そこで途切れていた。 リナは、震えが止まらなかった。恐怖ではない。怒りでもない。それは、彼女がずっと避けてきた、兄の「狂気」が、現実だったと知った時の、戦慄だった。「意識の菌類」「記憶で動く都市」科学者としての彼女の理性が、それを全力で否定する。だが、ジャーナリストとしての兄が、命を賭けて残した記録が、そこにあった。そして、手の中には、証拠となる「黄金の石」がある。リナは、決意した。彼女は、もはや科学者ではなかった。真実を求める、一人の人間だった。そして、たった一人の家族を奪われた、妹だった。 彼女は、上司に休職届を出した。「家族の事情」とだけ、短く書いた。荷物をまとめ、片道の航空券を手配する。行き先は、ブラジル、マナウス。アマゾンの入り口だ。彼女の目的は、兄の死の真相を突き止めること。そして、もし、万に一つの可能性があるならば…兄がまだ、生きている可能性を、確かめるため。彼女は、兄が残した黄金の石を、強く握りしめた。それは、ひんやりと冷たいはずなのに、まるで生きているかのように、かすかな熱を帯びているように感じられた。[Word Count: 2498] Hồi 1 – Phần…